Unconscious Leaders : yae

Unconscious Leaders : yae

人間起点で技術革新を上塗りし、自然環境を蔑ろにする社会は限界を迎えている。今回話を伺った3名の女性は、マクロ視点で捉えた世界の現状と課題を自らの問題として落とし込み、足もとから一歩ずつ変革することを体現している存在だ。自然と共生し人々の繋がりが強固だった時代の文化や発想に立ち返り、周囲と未来への橋渡しを行う、無意識下のリーダーたちの思考を辿る。

誰しもにとって身近な「食」を通し、環境問題についての情報発信活動を行うアーティスト/ライター、yae。彼女はあらゆるモノが溢れる東京で育ちながらも、ごみやプラスチックの削減・ものの再利用・食の裏側まで意識を巡らせ、自分が知るべきこと・やるべきことを常に探り、活動拠点を九州に移した。
意見を論じて人に影響を与えようとするのではなく、「まずは自分がやってみて、共感してもらう」スタンスで環境問題に取り組むその姿は、力強さだけでなく、視野の広さと包容力を感じさせる。
彼女の考え方のバックグラウンドや、行動力の素地について話を伺った。

|東京出身で、アメリカ、福岡、佐賀と拠点を移しながら生活されています。これまでの経緯と、それぞれの生活の中でターニングポイントになった出来事を教えてください。

アメリカ留学は15歳から4年間、最初の2年をNY州の田舎の学校で、その後の2年をロングアイランドの学校で過ごしました。留学当初は典型的なアメリカ的食生活で、寮のご飯は冷凍食品、お腹がすいたらみんなでカップ麺を食べ、週末はマクドナルド。そのうち体に不調が出てきて、常にパンパンにむくんだメタボ体型のようになってしまい、生理が来なくなった。これは食べ物に原因があるんじゃないかと思って、体調を整えるために何を食べるべきかなど、思考がだんだん「食」にフォーカスしていった。この実体験を通じて、食をめぐる人権問題やフェアトレードなど、社会的な視点で考えるようになったんです。

帰国後にNEUTマガジンで食をテーマにしたコラムの連載を始めて、あるソムリエとシェフへの取材で「土」や「循環」について話をうかがったとき、「話で聞くよりもどこかの土を裸足で踏んだ方が早い」と言われて、土に触れることで違う世界が見れるんじゃないかと思うようになった。そこで街と自然との距離間がちょうど良くて、「土」に近そうな九州に行ってみることにしたんです。


最初に訪れた福岡で「manucoffee」というお店に出会いました。イエローカラーの明るい店内にHipHopが流れていて、店員さんもすごく親切で、街に溶け込んだ珈琲屋という雰囲気。あるとき店員さんがお店の裏でコンポストをしていると教えてくれて、実際に見せてもらったんです。
街なかの一見普通の珈琲屋が、金澤バイオ研究所と協働でコーヒーかすの再利用法を真剣に考えて、コーヒーかすを肥料として活用し、畑を借りてお米や芋を育てている。HipHopの真っ直ぐな人たちが、「自分たちが気持ち良いと思える環境」にするために取り組んでいる。自分の憧れのイメージがそこにありました。
あれこれ考えるよりまずは実践してみて、失敗しても試行錯誤して次に繋げていく。アメリカでもこんな人たちには出会えなかった。


それから同じような意識で活動をしている人を探してイベントやトークショーに行き、勉強させてもらいました。ただ、意外にそういう機会を作ることが難しいとわかって、自分の中で課題が見えてきたんです。常にベストな拠点というものはない。その時点でベストな場所を探り、移動していく必要がある。
現在は佐賀県で300年続いている和紙工房で働いています。友人の紹介で7代目の職人さんと知り合い、大雨災害の被害を受けて工房の建物を新たに建て直すことになったタイミングで「工房の歴史に新しい目線が欲しいから働いてみないか」と声をかけていただいたんです。その時点ではまだ自分に何ができるかわからなかった。紙漉きができるようになりたいけど、自分がやりたい活動をふまえると、ずっと同じ場所にはいられない。そこで2年限定で働かせてもらうことになりました。

今の私の役割は、和紙の使い方・見せ方のリサーチやアイデア出し、商品化されない和紙を使ったドローイング作品制作など。工房で働く中で新しい発見や気づきを職人さんにフィードバックしたり、作品に対して客観的にアドバイスをしています。この経験を通じて、今後はどの分野でも相手に自信を持ってもらえるようなフィードバックのスキルを身につけたいです。
東京で表現活動をしているアーティストの方と話をしていると、「自分」を主体に据えていると感じることが多い。一方、和紙づくりは素材である梶の木という植物が主役。職人さんは直接的な自己表現の余地がない、厳密な作品づくりをしている。その姿勢の違いには学ぶことが多いです。

|東京では日常目にしているプラスチック包装や食材など、当たり前すぎて意識に留めなかったり、「環境に良くなくても仕方がない」という諦めの気持ちで忙しい日々を送っている人の方が大多数だと思います。そんな環境で育ちながらも、違和感を無視せずに立ち止まり、真剣にアクションを考えられるyaeさんの姿勢や価値観は、どのように育まれたのでしょうか?

親の仕事とアメリカ留学の影響が大きかったと思います。
私の父は俳優の杉本哲太です。父が仕事で見せる姿は家にいる時とは全然違って、ON・OFF切替の極端な例として小さい頃から観察していました。常に人に見られる仕事をしているので、私自身も物心ついた時から「人前にいる」ということを意識してきました。自分が納得いかないことはしない、自分が良いと信じることを自信を持ってやる、ということを家族から学んだと思います。

一方で、有名人の子供であることにずっとコンプレックスがありました。ダンスをやっていた時も自分の実力で評価されているのか分からず、自信が持てずに悩んだり。いっそ誰も父のことを知らない場所に行って自信をつけたいと思い、アメリカへ留学することにしたんです。
留学先では周囲に父のことを絶対に言わないつもりでしたが、だんだん言ってもいいかなと思うようになった。自信がついてきたし、父の存在も含めて自分のアイデンティティとして確立していかないと一生隠し続けることになると思って。
また留学中は英語を話したいのに話せないもどかしい自分自身を常に客観視していて、他人のことも観察する習慣がつきました。

環境問題については、みんなが気持ち良く過ごせるようにゴミをどうにかしたいと思って勉強を始めたんですが、難しいアプローチを考えるよりも、自分が実際にできることを常に探り続ける方がいいなと思って。
排気ガスを出さないために車に乗らないとか、プラスチックを使わないとか、過度に制限する生活は自分が過ごしにくい時間も増えてしまうので、「プラスチックが使われていたとしても、本当に必要だったら買おう」とか、「必要なものを見極めて取り入れていこう」という意識に変え、実践していきました。無自覚な行動を取らない、無意識に買い物をしない、でも無理はしない。
あとは人と想いを共有することが本当に大事で、例えば友達が無意識にゴミを出していたとして、どう伝えたら共感してもらえるかを考える。第三者的に忠告だけするのではなく、「自分だったらこうする」というアクションを体現していくしかないと思っています。「yaeがやってるから、自分もやろうかな」と思ってもらえる存在でありたい。周りの見本でいられるような生き方を心がけています。

|洋服や身の回りのものなど、自分の所有物はどのような観点で選んでいますか。

ライフスタイル上、自分の「もの」を減らして移動しやすい状態にしておきたいので、洋服はほとんどが人から譲っていただいたお下がり。自分で買うのも古着だけです。人からもらった思い入れのあるものや、ボロボロになっても大事にし続けられるものだけを手元に残しています。やむをえず新品を買う時は、今持っているものと同じくらい大事にできるかじっくり考えてから買う。
今回の撮影でも、福岡で知り合ったおじちゃんのお下がりのズボンや、母が着ていたTシャツを着ています。Dr.マーチンは中学1年の時からずっと履き続けています。

服に限らず、ものを「捨てる」ことが嫌いで、いらなくなったものは時間をかけてゆっくり自分から離していくようにしています。自分と同じくらい大切にしてくれそうな人に譲ったり、フリマで売ったり。相手の方には「これを手放す時は、捨てずに誰かにあげてね」と伝えるようにしています。

|食を通して環境問題を考える活動の今後のアクションプランと、自分自身の将来像についてお聞かせください。

食べ物は環境に向き合うための媒体物なのではと考えています。土や動植物に触れる身体的な感覚や、食にまつわる実体験から得られる視点を人に伝えられるようになりたいです。
自分自身としては、決まった場所に留まらず移動しながら様々な人と出会い、フラットな気持ちで彼らの価値観を吸収していきたい。ワーキングホリデーとか、言語が通じないところに行ってチャレンジするのもいいかなと思っています。
また活動するためには資金が必要なので、仕事のやり方やもらい方も含め、総合的にバランス良く考えていきたい。
現在のような活動スタイルが体力的にできなくなるタイミングもあると思うので、今はとにかく、常に何かしらに全力で向かっていきたい。すぐ先に成果が見えなくても、この経験を活かして最終的にきっと何かに繋げられる、という想いで毎日を過ごしています。

yae /
東京出身。1997年生まれ。NYにて高校時代を過ごす。海外生活を経験していた際に食生活が乱れたことをきっかけに食への興味を持ち、わからないことの無力さを原動力としながら、各地のレストランや農産地をめぐり記事を執筆し始める。とあるビートメイカーとアーティストをきっかけに福岡の音楽やカルチャーに興味を持ち、旅行で福岡を訪れそのまま移住。福岡のリソグラフ印刷屋で働いたのち、現在は佐賀県に移住し、名尾手すき和紙(和紙工房)にて勤務している。

Asuka Ito /
1992年生まれ、山形県出身。 大学卒業後、代官山スタジオに3年間勤務。 2017年に渡英し、撮影アシスタントの傍らドキュメンタリー写真に軸をおいた作品制作を行う。ヨーロッパ、中東、オセアニアなど様々な土地へ足を運び、現地で出会った人々との対話や土地から受けた印象をもとにコンセプトを決めていくスタイルで、ポートレイトや風景を撮影したシリーズを制作。2年半の滞在ののち、渡仏。2020年に帰国し、現在は東京を拠点に活動。東京の子供、福島、母親・家族などをテーマにした作品制作を行っている。

Nami Kunisawa / Akio Kunisawa /
フリーランスで編集・執筆を行う。これまでに「Whitelies Magazine」(ベルリン)、「Replica Man Magazine」(ロンドン)、「Port Magazine」(ロンドン)、TOKION(東京)等で、アート、ファッション、音楽、映画、写真、建築等に関する記事に携わる。

Photography:Asuka Ito
Text : Nami Kunisawa
Interview : Akio Kunisawa