Atelier M by Iwao Yamawaki

Atelier M
by Iwao Yamawaki

旅先で見つけた建物の上端にまで施された細微な女性の上半身や花々の彫刻、夕日を浴びて⻩金のように輝くレンガの校舎、空を切るような真っ白いコンクリートの美術館。

写真を見返せば自分の目線が何に吸い寄せられていたのかがわかる。

建築の随所に目がいく時の吸い寄せられ方は、生地の選定と似ていると思った。まず生地の見た目が目に入る、次に近づいて生地に触れる、目で見た時と同じ印象の時もあれば、それを裏切って驚かされる時もある。

次いで想像する。この生地を使うのならばどんなデザインが似合うだろうか、人肌に触れたとき心地がいいものか、外から見たときにはどんな印象を人に与えるだろうか...。

建築も洋服も人がその“中”に入っていくものとして通ずるものがある。

20世紀初頭、華美な装飾が主流であった時代に、木目や大理石など天然素材の美しさを用いながら、人々の暮らしやすさや実用性に重きをおくことを説いた建築家がいた。
我々の作る洋服もそうでありたいと思った。職人の方が丹精込めて織り上げた美しい生地、産地によって特性の異なる天然の素材。それらを活かしながら実用的で人々に心地良さをもたらすことのできる服。
永く愛用いただけるもの。

そんな風にして、新しい建築のあり方に貢献した建築家の思想に敬意を表し、TĔLOPLANの名前は生まれた。これからも建築は TĔLOPLANのクリエーションにインスピレーションを与えてくれる源であり続けると思う。

そんなTĔLOPLANが今回撮影場所として選んだ、建築と縁あるスタジオ、三岸アトリエについて、この記事では紹介する。

撮影場所三岸アトリエ

「装飾は罪悪である」(アダルフ・ロース)
モダニズム建築を代表する建築家の一人の言葉である。

今からおよそ百年前。ヨーロッパではステンドグラスや繊細なレリーフを多用した装飾的な建築物から脱却し、多くの建築家が機能的・合理的なデザインを追求した。この時代の建築物がモダニズム建築と呼ばれている。技術の進歩により、石造・煉瓦造という制約から解放され、鉄・コンクリート・ガラスなど当時新しかった素材による自由な平面・立面が可能になった。(壁ではなく柱で建物を支えられるようになったため、平面的には部屋の配置が自由になり、立面的には窓の大きさや配置が自由になった。)それまでの建築物とは全く違う、カクカクした直線的なデザインが特徴的だ。

ル・コルビュジェ設計の建築。近代建築の五原則に則ってつくられている。

“合理的”なデザインを唄いながらも決して無表情なわけではなく、直線と曲線の組合せや色使い等、随所に遊び心を感じられる。また“機能的”であるから普遍的な美しさがある。

1919年に建築家ヴァルター・グロピウスが中心となって設立した芸術学校・バウハウスは「芸術家と職人の間に本質的な違いはない」という理念のもと、絵画・彫刻・工芸品・写真・建築など、さまざまな芸術分野の造形教育を行っていた。モダニズムの源流となった教育機関である。

ドイツで設立されたバウハウスには当時世界各地から芸術家の卵が集まっていたのだろう。そのうちの一人、山脇巌が日本に帰国後手がけた建築物が三岸アトリエだ。

東京都中野区の閑静な住宅街に建っている三岸アトリエ。画家・三岸好太郎が友人の山脇巌に設計を依頼し、三岸夫妻のアトリエとして1934年に建築された。山脇がバウハウスで学んできたモダニズム建築の理念と、モダンデザインに精通していた施主の感性が存分に詰め込まれた建築物である。

当時、周辺には藁葺き屋根の農家があった時代。白くて四角いガラス張りの建物はさぞかし目立っていたであろう。現代であれば鉄骨もしくは鉄筋コンクリート造で建てるだろうが、当時木造で建てられたというから驚きである。陸屋根(平らな屋根のこと)を木造で実現するのは流石に無理があったのか、今は寄棟屋根がかけられている。

竣工時の様子。これらの写真は山脇巌が撮影したものだ。
(山脇はバウハウスで写真も学んでいた。)
画像提供:三岸アトリエ

増改築により当時から外観は変わっているものの、メインのアトリエ部分はほぼ竣工当時のまま。絵を上から眺められるようにとデザインされた二層吹き抜けの大空間にスチールの螺旋階段が据え付けられた、絵になる空間だ。

竣工から約10年後、三岸夫妻の娘の写真。当時服飾の学校に通っていて自分で縫った洋服だそう。正方形の窓が並ぶファサードに、二人の姿が映えている。
画像提供:三岸アトリエ

アトリエ南面の二層分の大きなガラス窓の木製サッシは正方形に近い割り付けでつくられており、特徴的な外観を構成していた。戦争中に窓ガラスが割れてしまい現在ではアルミサッシに交換されているが、サッシも建具も照明器具も、今のように既製品が少なく、細部までオリジナルで作られていたこともこの時代の建築物の特徴である。だから建築物全体としてもオリジナル性が高い。

この照明器具も1955年〜1958年の増築時につくられたオリジナルのものと推測される。

見たことのない新しいものをつくるということは多くの困難も伴う。先述したように木で組んだ陸屋根では雨漏りしてしまうなど、デザインに技術が追いつかないという状況が発生する。当時創意工夫しながらつくられたものは、同じものを今の技術でつくるより維持修繕費用がかかるのだ。

それでも後世に残していきたい、使い続けていきたい、と思うのは普遍的な魅力・価値がその建物にあるからだ。今の世の中でつくられている建物は、そう思えるものになっているだろうか?人の気持ちを明るくしたり落ち着かせたり、時にはインスピレーションを与えたり。人に寄り添ったものになっているだろうか。

モダニズム建築と我々の作りたいファッションには共通項がある。
合理性のもとに築きあげられる芸術性、生活との関わり方の密度、そしてそのあり様が時代を超えて人の気持ちに寄り添っていけるという点。三岸アトリエもその考えを体現している建築作品の一つといえよう。

Text: Moe Donaka