MEMORIES AND MEMORANDUM - Part 1 by Shoko Ryuzaki and Mai Shiotani

MEMORIES AND MEMORANDUM - Part 1
by Shoko Ryuzaki and Mai Shiotani

人は、なぜどんなに忘れたくないと願った記憶さえも忘れてしまうのだろう。
幼い頃好きだった毛布の手触り、初恋の人と見た夕陽、今は亡き人が自分の名前を呼ぶ声。
どれだけ鮮明に覚えておこうとしても、記憶は日々色褪せ消えていく。
記憶を辿るのは、手の指の間からこぼれ落ちてしまう砂を必死に掬い上げようとする行為に似ている。
けれども記憶は、記録として留められることで、その輪郭を失わずに存在し続けることができる。
そうして手の中に残った本当に美しい思い出だけを大切に手元に残しておくことができるように、人は都合よく忘れるのかもしれない。
今回2 組の人々に、ともに体験した忘れられない出来事について、それぞれの視点から綴ってもらった。
記録として紡ぎ出された互いの記憶が、経糸と緯糸のように交わる時、いったいどんな 新たな物語を織りなすのだろうか。同じ空間で同じ時間を過ごしていたはずの2 人の記憶を読み比べて、 記憶の曖昧な美しさについて思いを馳せてみてほしい。

Shoko Ryuzaki

The Memory About

Mai Shiotani

「ベトナムのUBERはバイクらしいで」としおたんさんが言った。数分後、アプリに導かれてやってきた2台の原付の後部座席にそれぞれまたがって、わたしたちはクラクションの飛び交う亜熱帯の幹線道路へと駆け出していた。私はいわゆるニケツをするのはもちろん、原付に乗るのも初めてだったので、運転している前のお兄さんとの距離感に終始戸惑っていた。映画やドラマでよく見るような、前の人に抱きつくのはカップルならではの甘酸っぱい演出だろうからこのシチュエーションでは不適切なのは分かるが、かといって手放しで後部座席に乗るには、渋滞で混み合う大通りをスイスイすり抜けながら走る原付から振り落とされそうである。逡巡の末、恥じらいより安全を取り、前のお兄さんの水色のジャンパーに軽く手を回すことにした。突然、言葉の通じない乗客にソフトに抱きつかれたお兄さんは、一瞬戸惑うようなはにかむような素振りを見せたので、内心激しく動揺したが、何も言わないでいてくれたのでどうにか事なきを得た。2 台の原付は、自動車にバスに大量のバイクに混雑した道路上で、近づいたり離れたりしながら目的地へ向かう。途中、信号か何かでしおたんさんの乗ったバイクがすぐ近くまで寄ってきた。見ると、しおたんさんは運転手さんの肩に手を添えて器用に乗りこなしている。なるほど、そうすればいいのかと早速真似すると、思いの外安定していて辺りを見渡す余裕さえ出てきた。それまでは、日に灼けた襟足とUBERのロゴの入った水色のヘルメットとジャンパーしか視界に入っていなかったのだが、顔を上げてみれば道の両側にはフレンチコロニアル様式の建築が立ち並び、門扉には中国式の石獅子が構え、紅の提灯が吊り下げられ(今思えば旧正月の時期だった)、街灯には鎌と槌が描かれた赤旗がぶらさがり、建物から突き出しているベランダには洗濯物が所狭しと干され、異国の文字で埋め尽くされた看板が至る所に掲げられ、そしてジャングルのような生命力ある熱帯の植物がそこかしこに生い茂っていた。

わたしは思い知った。これがベトナムかと。世界史の教科書で聞き齧った知識たち、中国の朝貢国だったことや、フランスの植民地だったこと、社会主義国家だったこと、それらが全て同じ光景の中に混沌と共存しながら、濁流のように原付の後部座席の私に迫り狂ってきた。暖かくて、湿っぽくて、土埃と汗と煙の匂いが混ざる街。大きな光の粒が降り注ぎ、肌を撫でる風は穏やかで心地よい。その土地の風土、歴史、そこから滲み出る文化や生活の片鱗。それらを生々しく肌身で鮮烈に感じられる瞬間こそが旅の醍醐味なのだと思う。

世の中がパンデミックになることなんて想像すらできなかった頃の、ほとんど霞みがかった旅の記憶。何をしに行ったのかとか、どんな流れで過ごしていたのかとか、朧げにしか覚えていない。ただなんとなく、エステの待合室での何気ない会話とか、姪っ子さんのために買わはったギンガムチェックのワンピースとか、アオザイにアディダスのジャージを合わせたら可愛いんじゃないかみたいなやりとりとか、しおたんさんが私との会話と並行しながら何件もツイートしていたことに気づいた時の驚きとか、連れて行っていただいたピザ屋さんで食べたブッラータとフルーツのサラダの味とか、そんな断片だけがやけに鮮やかなリアリティーを伴ってリフレインする。

そういえば、原付で帰る時、確か24時を回るくらい遅い時間だったか、後部座席に乗るのも少し小慣れて、ガラガラに空いている大通りを颯爽と夜風を切りながら駆け抜けていったのを覚えている。深夜だというのに街のレストランや屋台はまだ賑わっていて、歩道にせりだしたテラス席では若い女性たちがお酒とおしゃべりを楽しんでいた。原付の軽快な走行音と、楽しいねと笑うわたしたちのははしゃぎ声が夜に溶けていた。水色のヘルメットを返し、2 台の原付が遠ざかっていくのを見送って、私たちはホテルの客室へと戻っていった。それはとても楽しい夜で、でもわたしたちは一体原付に乗って何をしにいっていたのかは、もうあまり覚えていない。

Mai Shiotani

The Memory About

Shoko Ryuzaki

真冬の夜であれ、ホーチミンは蒸し暑い。耳慣れない言葉に囲まれながら、タンソンニャット空港の到着口からわらわらと出てくる群衆の顔を見続けて、あの人も違う、この人も違う……と探し続けた末に、やっと見慣れた顔を見つけてほっとする。「翔子ちゃん!」と叫んだら、あちらも同じく安堵顔。知らない匂いや景色の中で待ち合わせると、知ってる相手が見つかった途端、そこだけパァっとあったかい光が刺射すような感じがするよね。

これは2018年1月のこと。突然のベトナム出張が入ったのだけれども、現場でサポートしてくれる人を誰かひとり連れていってくれたら、ということだったから翔子ちゃんに声を掛けてみた。巷では現役東大生のホテル王だとか、Z世代のスター経営者だとか呼ばれて多忙を極める彼女なんだけれど、「旅も仕事やろ!」という私の適当な誘いに彼女は「それっすわ」と二つ返事。でもやっぱり多忙だから、遅い便で追いかけてくるとのこと。そんな訳で真夜中に到着予定の彼女から、「く、空港まで迎えに来てもらえますか……?」という可愛いLINEが来て、もちろん!と姉御気分になってしまった。しっかり者だから忘れてしまうのだけど、彼女は私より8 つ歳下。翔子ちゃんがベトナムを楽しんでくれたら良いな……だなんて、お前は一体ベトナムの何なんだ、という目線でわくわくしながら空港で出迎えた。

私にとっては10年ぶりのベトナム、ホーチミン。10年もあれば街は変わる。もちろん東京や大阪だって再開発の嵐で、10年で激変したとは思っていたけど、ベトナムのそれは桁が違って仰天した。映えるドリンクスタンドやアイス屋さんも、夜まで大音量でDTMが鳴り響く歓楽街も、ネオンに照らされたオープンテラスでお酒を飲むK-POPスターみたいな装いの若者たちも、10年前のここにはなかった景色。あまりにも様変わりしたベトナムさんを前に、なんだかこちらが停滞しているみたいな気がしてしまう。というか、2018年のベトナムのGDP成長率は7.1%、対して日本は0.8%なのだから、「停滞してるみたい」じゃなくて、文字通り停滞してるんだな。別に経済成長だけが是だとはちっとも思わないのだけれども、でもやっぱり、ムードが違うのだよね。そんなお祭り気分の歓楽街を歩いていると、お酒もそこそこなのに気持ちが高揚して、何でも出来ちゃうようなポジティブマインドになってくる。日頃は憂鬱とした自他ともに認めるネガティブ人間なもので、こんな気分は異例なのですが。これはきっと間違いなく、バブル崩壊と共に生まれた我が人生では一度も経験したことのない「7.1%」の熱狂に囲まれたからに違いない。高いGDP成長率は、高いアルコール度数よりも人を陽気にしてしまうんだわ。

一方で、10年前からあまり変わらない景色もあった。車の間を抜けて所狭しと走っていく数え切れないほどのバイク、バイク、バイク。前回の旅行では、ホテルの窓からバイクの大群を「すごいなぁ、あの人たちにはどんな景色が見えてるんだ……」と眺めているだけだったけれど、今回はなんと乗れてしまうのです。ベトナムのUber はバイクが主流だから! なんとも嬉しいローカライズ。
バイクの後部座席に跨がれば、ここで暮らす人達と同じ目線で日常が見えてくる。向かい風を受ければ湿気も忘れてしまうほど爽快で、10年前に抱いた好奇心をやっと満たせた私の陽気メーターが振り切れて……あぁ最高! と夢中になる傍ら、横を見れば顔に困惑と書かれている翔子ちゃん。いやこれ確かに安全性は低そうだし、不安だよな……と思うも数分後には「いやぁ、最高っすね!」ととびきりの笑顔を見せてくれて、適応の速さに驚きつつも一安心。それもやっぱり7.1%ムードの為せる技?兎にも角にも、真冬に訪れた夏の数日、白昼夢みたいな記憶ばかりが残ってる。

龍崎翔子( りゅうざき・しょうこ)
L&G GLOBAL BUSINESS, Inc. 代表、CHILLNN, Inc. 代表
ホテルプロデューサー 1996年生まれ。
2015年にL&G GLOBAL BUSINESS, Inc. を設立後
2016年に「HOTEL SHE, KYOTO」、2017年に「HOTEL SHE, OSAKA」を開業したほか、「THE RYOKAN TOKYO」「HOTEL KUMOI」の運営も手がける。
2020年にはホテル予約システムのための新会社CHILLNN, Inc.、観光事業者や自治体のためのコンサルティングファーム「水星」を本格始動。
また、2020年9 月に一般社団法人Intellectual Inovations と共同で、次世代観光人材育成のためのtourism academy "SOMEWHERE" を設立し、オンライン講義を開始。
2021年に「香林居」開業。
Twitter : @shokoryuzaki
Instagram:@shokoryuzaki
note:https://note.com/shokoryuzaki/

塩谷舞( しおたに・まい)
1988年大阪・千里生まれ。京都市立芸術大学卒業。
大学時代にアートマガジンSHAKE ART!を創刊。
会社員を経て、2015年より独立。
2018年に渡米し、ニューヨークでの生活を経て2021年に帰国。
オピニオンメディアmilieuを自主運営。
note 定期購読マガジン『視点』にてエッセイを更新中。
著書に『ここじゃない世界に行きたかった』(文藝春秋)
Twitter:@ciotan
Instagram:@ciotan
note:https://note.com/ciotan/

Text: Shoko Ryuzaki and Mai Shiotani
Edit: Lisa Tani