MEMORIES AND MEMORANDUM - Part 2 by Makoto Egashira and Lisa Bayne
2022.12.27
MEMORIES AND MEMORANDUM - Part 2
by Makoto Egashira and Lisa Bayne
人は、なぜどんなに忘れたくないと願った記憶さえも忘れてしまうのだろう。
幼い頃好きだった毛布の手触り、初恋の人と見た夕陽、今は亡き人が自分の名前を呼ぶ声。
どれだけ鮮明に覚えておこうとしても、記憶は日々色褪せ消えていく。
記憶を辿るのは、手の指の間からこぼれ落ちてしまう砂を必死に掬い上げようとする行為に似ている。
けれども記憶は、記録として留められることで、その輪郭を失わずに存在し続けることができる。
そうして手の中に残った本当に美しい思い出だけを大切に手元に残しておくことができるように、人は都合よく忘れるのかもしれない。
今回2 組の人々に、ともに体験した忘れられない出来事について、それぞれの視点から綴ってもらった。
記録として紡ぎ出された互いの記憶が、経糸と緯糸のように交わる時、いったいどんな新たな物語を織りなすのだろうか。同じ空間で同じ時間を過ごしていたはずの2 人の記憶を読み比べて、記憶の曖昧な美しさについて思いを馳せてみてほしい。
Makoto Egashira
The Memory About
Lisa Bayne
良く晴れた9 月の、水曜日の朝だった。
私がまだ学生の頃、大学へ向かう小田急線急行の車内、その人、理紗は目の前に座っていた。新宿駅を発車して、代々木上原駅に到着する手前、私は彼女の存在に気づいた。どちらかが電車を降りたその瞬間、もう二度と出会わない人。そんな人に、特別な何かを感じてしまった自分を恨んだ。彼女の醸し出す空気が、周りで流れている時間が、自分の何かの線に触れていて、心を惹きつけてやまなかった。それは、世間一般でいう一目惚れであった。元来私は、人に対して興味を抱くかどうかは直接話してやっと判断できるのだが、彼女は違った。
私の大学の最寄り駅に着く頃には、しなければならないことは決まっていた。出席するはずだった講義は切った。自分の思ったことを伝え、それを拒絶されようと、その結果は声を掛けなかった時と一緒なのだから、1%でも未来に繋がる可能性のある選択をしようと決心していた。そしてそれは、彼女が、どこの、誰で、何者なのかは関係なかった。当時は知る由もなかったのだが。
彼女が降りた駅の、改札前で声をかけた。一目惚れしたということ。もう今後機会はおそらくないから、こんな形の伝え方になってしまったこと。全てを正直に伝えた。その間、彼女は私の目を見ていた。同時に、私も彼女の目を見ていた。ひどく透き通った綺麗な目だったのに、どこか揺らいでいて、不完全なものであったと、鮮明に記憶している。
結果、ほんの2、3 分のやりとりの後、名前と電話番号だけを交換して、我々は互いの通学路へ戻った。大学へ戻る電車の中で、これが現実なのか、夢なのか、よくわからなくなっていた。でも確かに、もう一生出会うことがなかったであろう人と、また繋がることができる1%の未来は、手のひらの中にあった。その反面、この手綱は、相手が拒否してしまえば簡単に切れてしまうような、脆い物であった。
その次の日、我々はカフェにて話す機会を設けた。互いに写真をやっていること。今読んでいる本のこと。大学生活のこと。やはりというか、彼女の紡ぎ出す言葉が好きであった。2 時間ほど、話は途切れることなく弾み、これからもっと仲良くなれると信じてやまなかった。
しかし、その後彼女は、精神的にどこか遠くへ行ってしまった。もう会うつもりはないと連絡が来て、一往復のメッセージのやり取りの後、我々の関係は終わった。でもその時点の自分は未練だとか、悔いはなかった。これ以上自分に出来ることはないと思っていたし、見ず知らずの人と知り合い、ここまで話すことができたのだから、それまでが出来過ぎだったとさえ思っていた。
だが約半年後、彼女の突然の一本の電話をきっかけに、我々は再会を果たす。そこで彼女は、自身のことをより深く話してくれた。仕事のこと。家族のこと。病気のこと。そして、出会った当時は、絶望の淵に居たこと。
あの日、電車の目の前に座っていた女の子は、逆らえない事実に直面し、戦っていたと、やっと知り、気づいた。そして直ぐに、我々は一緒にいるべきだと感じた。この時点で、ただの一目惚れから、彼女は自分にとって大切な何かに変わっていた。ここから数ヶ月間、会って、電話して、互いの多くの時間を共有した。
彼女と私は、互いを理解し合うのに、えらく時間がかかった。一番近しい関係だった期間を経て、次に会ったのは一年後。その次は半年後。タイミングはいつも突然であった。そしてそのまた半年経ち、ふとしたタイミングで、夜に2 人でドライブへ出掛けた車内。自分にとって彼女が、彼女にとって自分がどのような存在であるのか、収まるべき場所をお互いが見つけた。悲しみだったり、怒りだったり、困惑だったり、それまでの2 人の記憶の、ネガティブな要素までが意味を持ち、輝きだした。脆かった我々の関係は、絡まった糸をときほぐすように、少しずつ、でも確実に、結び直して、固く、強いものへと変わった。
私にとっての理紗との記憶は、ある小説の一文そのものであった。
「人が変えられるのは未来だけではなく、実際は常に未来が過去を変えている。変えられるともいえるし、変わってしまうともいえる。」
Lisa Bayne
The Memory About
Makoto Egashira
大学1 年の後期が始まり9 月が終わる頃、遅刻気味で仕方なくいつもとは違う時間の電車に乗ろうと、止まっていた急行電車の空いている席に座り出発を待っていた。
当時読んでいたハーバート・リードの「芸術の意味」を開き、一息つくようにふと顔を上げると目の前に座っている一人の人物が本を読んでいる。
ほとんどがスマートフォンに顔を寄せている中、その姿を見て勝手に親近感を抱いていた。しかし電車が発車して改めて車内案内を確認しようとすると先ほど目をやった本が閉じられている。たった2 駅ほどの間に読み始めたばかりの本を閉じる理由がどこにあるのかと思っていたが、のちにそれが私だと知らされるとは思ってもみなかった。
1時間半ほど電車に揺られ、急ぎ足で改札へ向かう私の右肩を誰かが叩いた。本を読んでいたのに電車が出発してすぐ閉じたあの人だ。午前8 時を過ぎた水曜日、小田急線の改札前、人々が行き交う中で私は彼に一目惚れされていた。改札内のアナウンスで声は掻き消されていたし周囲の声や足音が入り混じる中なにが起きたのか訳がわからなかった。ただ彼がまっすぐとした力強い眼差しで私に何かを伝えようとしている姿に圧倒されていた。
事が起きる1 週間前、病を告げられ明日を迎えることさえ嫌悪感を抱いていた。身も心も痩せ細って廃れていた私をそっと掬うかのように、駆け寄ってきた彼になにか希望を感じていたのかもしれない。当時の私はSNSと縁を切った生活だったために電話番号を渡し、その場を終わらせるようにして大学へ向かった。
大学に到着した頃彼から連絡がきて、お互いの予定が合った次の日の朝に再会した。不思議な感覚だった。電車の向かいに座っていた見知らぬ人と私は今待ち合わせをして同じ席に座り対話をしている。違和感という言葉以外当てはまらないはずなのだけど、気にならなかった。彼は決して嘘のない、不純物がなにもない状態で私に接していた。それが心地よく、自分が夢の中にいることに気付いていなかった。病の治療が徐々に始まり、夢から目が覚めたのだ。生きることに必死だった私は、これ以上自分に幸福感や期待を抱くような出来事はあってはならないと、少しずつ家族や友人との距離を置いていった。そして彼との接触をも断ちたかったのだ。これ以上何かと向き合う事を諦めたように彼を拒んでいった。
それから半年以上が経ち私の病が回復していた頃、置いてきてしまった忘れ物を1 つ1 つかき集めるかのような日々を過ごしていた。そして、彼のもとへ足を運んだ。彼が一目惚れした私と本当の私の差異を埋めていくように、少しずつお互い歩み寄っていった。だが私は、また夢を見ていたのだ。再び夢から覚めた私は、まるで宝箱に入った宝石を大切に扱うような態度で私に接する彼を受け入れる事をしなかった。
そうしてまた別々の時間軸へ舞い戻り、記憶を辿り合うまで2 年の歳月がかかった。ふとかかってきた1 本の電話で再会し、4 年間の近況報告をした。いつしか違う歩幅で、違う道を歩くことをお互いが赦していた。紆余曲折しながら巡り合う関係性に名前をつけようとする事をやめた。
私は彼との関係性を面白おかしく人に話す。巡り合う出会いの興味深さと、彼と私の間にある関係性を自信を持って共有できるからだ。そしていくつになっても、どんな時代になってもどうしても忘れられない記憶が存在していることを実感した。
記憶というのは、案外あてにならない。もし今日人類が滅亡するとして、わたしたち人類は昨日のことを約80%忘れている。都合の悪い記憶は遥か彼方に飛ばされ、あるいは無意識に塗り替えていることだってある。
それを踏まえた上で、今この文章を読んでいるあなたが今日ここにくるまでの記憶を辿ってみてほしい。忘れゆく日々の中で芽生え続ける記憶や記憶の確実性というものの尊さを知るはずだ。この文章を読み終えた先にある何かに感覚を研ぎ澄ませてみると面白いことが起こるかもしれない。
江頭 諒( えがしら・まこと)
1996年福岡県生まれ、千葉県育ち。
2017年、留学先であるロサンゼルスにて、コーヒーを通じて飲食の世界へ入る。
帰国後、「CAMELBACK sandwich&espresso」でバリスタとしてのキャリアをスタート。
2021年「Paddlers Coffee」入社。
2022年 現在、新店舗「LOU」にてバリスタ兼、ワインの仕入れ管理、サーブも担当する。
Instagram::@makoto_ega_
ベイン理紗( べいん・りさ)
1999年生まれ、東京都出身。
中学生からモデルとして活動を開始。
現在ではさらに広告やMV等に活動の幅を広げながら、アルバムジャケットのデザインや展示を積極的に行なうなど、表現媒体にとらわれない活動を続けている。
Instagram::@_lisabayne
Text: Makoto Egashira and Lisa Bayne
Edit: Lisa Tani