THE PAPER: Simultaneousness

THE PAPER:
Simultaneousness
同時に存在するということ

2022.6.15

Photographer Yuko Amano shot a cover story for THE PAPER 《忘怀 Fleeting Memories Issue》at Jiyu Gakuen Myonichikan, designed by architect Frank Lloyd Wright.

写真家の天野祐子氏がTHE PAPER《忘怀 Fleeting Memories Issue》のカバーストーリーを、巨匠フランク・ロイド・ライト設計の自由学園明日館にて撮影しました。天野氏へのインタビューとともにお楽しみください。

“私が記録する全てのものは、古い洞窟に描かれたフクロウや、数百の牛や馬たちであり、今や剥製や毛皮になったニホンオオカミの在りし日の姿である。15万年前の火山であり、足下の石ころが岩であった頃の姿である。そして、今、川を下る一枚の葉の行く末であり、先程見た一匹のアリの明日の姿である。

私は、ある一つの事象に付与された意味が、長い時間または一瞬にして変化するということに強い関心を持っています。そしてそれがどのようにして記憶として定着されるのか、または忘れ去られていくのかということを、時間的尺度を持たない写真を使用し実現させることに、強い制作意欲を感じます。

それは、自らの立つ場所から見えるものすべての名前を忘れ、また新しい名前を付けていくような行為であり、その過程は私に、人類が意識を持ち得てから今まで、脈々と続けてきた世界との営みの中にいるという感覚を思い起こさせるのです。 今を見ることは過去と未来を同時に見ることであり、すべての写真が何百年後かの未来への資料になり得る可能性を孕んでいるということを、私は常にポジティブに捉えています。嘘か真かではなく、見えるものが全てです。”


天野祐子氏の写真は、彼女のアーティストステートメントに記された言葉に嘘偽りなく、自然への畏怖が宿った繊細で力強い眼差しをもって記録する。
中国語で「(忘れたくないもの、忘れてはならないものの)忘却」を意味する「忘怀」という言葉を起点に、「記録されることのないものは、人々の記憶から消え去った時に存在しなかったことになってしまうのか」という疑問や写真や紙としてなにかを残すことの意味を思索しながら、この冊子の制作は始まった。
そんな折に出会った天野氏の写真に強く心惹かれ、彼女について調べるうちに上記のアーティストステートメントを見つけた。彼女が写真を通して表現しようとしているものが今回のテーマに結びつくものである偶然に驚きを覚え、すぐに連絡を取り、幾度かの対話を重ね、撮影が実現した。

まるで抒情詩のような響きを持つ彼女の言葉も、写真とともに届けたいと思い、話を伺った。

ーなぜ写真を撮り始めたのか教えていただけますか。

通っていた高校が絵を描いたり彫刻を作ったり、そういった美術活動の盛んなところでした。その流れで美大を目指すようになり、デッサンや絵を描く中で、モチーフを「じっと見つめる/観察する」こと自体に魅力を感じ始めました。絵を描くのは好きでしたがそんなにうまくはなかったので、自分が見ているものや見ていたものが物質化したイメージとなって映し出される写真に、どんどん夢中になっていったことがきっかけだったと思います。

ーどのようにアーティストステートメントにあるような考え方に辿り着かれたのでしょうか。

以前はカメラを持って写真を撮るとき、自分自身が動きまわって何かを見つけに行くような感覚でした。 けれども私の場合、ちょうど今のアーティストステートメントを書いた頃、その動きまわり続けるということになんとなく疲れた感じがしていました。

ある日、今でも撮影を続けている遊水池(洪水時の河川の流水を一時的に氾濫させる土地のこと)にいつものように撮影に行きました。その場所には人工池があって、夕方になると白鷺たちが眠るために帰ってきます。私が動くと鳥たちが驚いて引き返してしまうので、草陰に隠れてじっとしている必要があります。鳥たちは空中で円を描きながらゆっくりと降下し、池の中に生えている木の枝につぎつぎととまります。向こう側に見える土手には、逆光でシルエットとなった人と犬がゆっくりと歩いています。あたりはどんどんと暗くなり、姿の見えないカエルが苦しそうに鳴き始めます。白くて薄い月が輝きを増し、太陽が今、完全に沈みつつあります。

私がじっと動かずにいる間にこんなにも自分のまわりが、世界が動いていたのだということをその時に強く実感しました。 この感覚が作品を作るうえでの原点となっていることは間違いありません。

ー今回の撮影を通じて表現したいと考えられていたことがあれば、教えていただけますか。

話し合いの際にリンさんやリサさんからお聞きした「忘怀」の概念を、自分なりに頭に思い浮かべながら撮影に臨みました。また、今回の撮影をさせていただいた自由学園 明日館のホールには大きな美しい窓がありますが、そこに一輪挿しが飾られていることはロケハンの時からずっと気になっていました。かつて明日館が校舎だった頃にこの場所に通っていた女性たちの精神を、まるでその花が引き継いでいるかのような印象でした。なので撮影当日も一枚目に花の写真を撮りました。一輪だけの花でも、朝にはやや閉じていた花びらが昼には満開になり、夜になるとまた閉じました。撮影している間は記憶の媒介者であるかのようにTĔLOPLANの洋服を纏ったモデルさんを見つめ、逆に見つめられていることを感じ、その瞬間にも花が開いて閉じていくことを想像していました。 実際の写真にはもちろん画像として映りませんが、見えずして流れている地下水脈のように何かの気配を感じてもらえたらと願っています。

ー写真を撮るにあたって常に意識されていることはありますか。

以前パリのアーティスト・イン・レジデンスに滞在していたときにこんなことがありました。 私の部屋は3階にあって、建物が中庭を囲んでコの字形に建っていたので、窓から2階のベランダがよく見えました。ある時そのベランダに、『The Power of Now』という本が雨ざらしでずっと置かれたままになっていることに気が付きました。風が強い日にはその本のページがすごい速さでパラパラとめくれるのですが、あるタイミングで中表紙がバッと開く瞬間があって、そこに大きく書かれた「NOW」という文字が見えるのです。
「NOW」は風にめくられてすぐにまた見えなくなるのですが、それが見えるたびに「私は今、NOW を見ている…!」と、何か大きな発見をしたような気分でした。その感覚がすごく印象に残っていて、シャッターを押す瞬間によく思い出します。

ー最後に、天野さんにとって、写真を通じてなにかを記録するというのは、どういう意味を持つ行為なのでしょうか。

ものと時間と空間の関係は思っているよりももっと複雑で、決して直線的ではないと感じます。ものに記憶や感情も含まれるのであればなおさらです。 例えば私が見ている鳥たちは、今までもこれからも私が絶対に見ることのできない景色を見てきたのだということや、以前登った山の中にあった無数の小さな石たちは、今でもまだちょうどその場所にあるのだろうかと想像すること。私にとって写真を撮るという行為は、いま眼の前にあるものを見つめながら、それ以外の全てのものの存在を感覚することだと思っています。
ある瞬間にそこになにかがあった、でもそれ以外のものもこの世界にはあった。それらは同時にあった。
いつか、写真でそのようなことを表すことができるのなら本望です。きっと難しいことですが。

Photography: Yuko Amano
Lighting Assistance: Asuka Ito
Hair and Make-up: Masaki Sugaya (GÁRA inc.)
Styling: TĔLOPLAN team
Model: Yuko Tamai (Gunn's)
Direction/Production: Lisa Tani
Location: Jiyu Gakuen Myonichikan