Unconscious Leaders : Yuri Shiino

Unconscious Leaders : Yuri Shiino

人間起点で技術革新を上塗りし、自然環境を蔑ろにする社会は限界を迎えている。今回話を伺った3名の女性は、マクロ視点で捉えた世界の現状と課題を自らの問題として落とし込み、足もとから一歩ずつ変革することを体現している存在だ。自然と共生し人々の繋がりが強固だった時代の文化や発想に立ち返り、周囲と未来への橋渡しを行う、無意識下のリーダーたちの思考を辿る。

貧困や平和、自然破壊など、地球規模で横たわる巨大なスケールの問題を因数分解して「自分事化」し、自分にできることを常に探りながら、世の中を良くするために着実に道筋を作っているYuri Shiino。彼女はこれまでの海外経験を通して、世界各地で経済発展や社会構造の変化によって薄まりつつある人々の繋がりや自然との共生の重要性を見出した。現在は地域コミュニティが色濃く残る長崎県対馬で、先人の知恵や相互扶助、自然の恩恵を尊重する社会の在り方を体感し、自ら実践している。彼女のフットワークの軽さと揺るぎない視点について話を伺った。

|Yuriさんは学生時代の早い段階から世界が抱える問題に目を向け、進路を選択し、目標に向けてステップを踏んでいます。ご自身の目的意識や価値観の形成に影響を及ぼした出来事について教えてください。

父の仕事の関係で幼少期にイタリアやタイなど海外で生活し、さまざまな環境に触れていたことが、今の自分の価値観に影響を及ぼしていると思います。
最初に世界の貧困について関心を持ったきっかけは、タイに住んでいた頃に旅行で訪れたカンボジアで見た光景です。当時小学3年生だった自分と同じ年頃の子どもたちが物乞いをしている姿に衝撃を受けたんです。

日本に帰国後、世界平和や貧困問題に何かしら関与できるようになろうと、高校時代にフィリピンに学校を建てるボランティアに参加したり、国際交流と英語習得のためカナダ留学したりしました。
大学では国連のインターンに参加し、アフリカのナミビアへ赴任。現地には日本の中古車がたくさん走っていて、開発途上国では日本のインフラ技術やものづくりに期待が寄せられていると感じました。

日本人として世界の社会生活基盤に貢献できることを考え、新卒で東京のインフラメーカーに就職。でも実際に働いてみると、インフラというのは事業規模が大きく、もっと身をもって感じられるものに関わり、仕事をしてみたいという思いが強くなっていきました。

また2年間ドイツに海外赴任していた時の影響も大きいです。田舎町でしたが、ヴィーガンや環境への意識が高い人が周囲に多く、野菜もオーガニックのものが手頃な値段で手に入りました。ドイツ人の友達は少し高くても環境や自分の体に良いものを買っていて、思考の軸が「地球」と「自分自身」だった。自覚的に行動を変えている点に感化されました。
それまで「人のために何かしたい」という思いが強かったのですが、自分の生活すらしっかりできていなかったことに気づき、まずは自分の暮らしを変えようと思ったきっかけともなりました。

各国での生活と時を経て、自分も無意識のうちに世界の貧困や社会課題に加担していることに気づきました。たとえば自分が着ている服が低賃金の工場で作られていたり、食べているものが劣悪な環境で作られていたり。

まずは根本的に自分自身の生き方を見直そうと、メーカーを退職して色々と探っている時、長崎県対馬で閉校を活用し地域交流や教育事業を企画している対馬地球大学に出会いました。国境離島という地域に興味があったのと、「人の生き方から学ぶ」という理念に共感して入社し、現在2年目になります。

振り返ると、海外生活を通して、国内にいる時とは違う角度から日本を見ることができたんだと思います。村の伝統的な手仕事に内包されているサステナビリティや、侘び寂びの概念、地方での自然と地域コミュニティが一体になった生活など、古き良き日本を再発見することに繋がりました。

|アフリカでの国連インターンに参加された非凡な経験について、具体的な活動内容、学んだことなどをお聞かせください。

世界の貧困問題へのアプローチとして国際開発に興味を持っていたので、当時唯一国連のインターンを行っていた関西学院大学の国際学部に進学しました。そして国連のプログラムを担当していた教授にインターン参加希望の旨を伝えたら、「君はどう貢献できるのか」と言われて。
インターンを希望したのは「国連での活動を通してもっと世界を良くしたい」という発想からでしたが、今思えば「国連に入れば何かできる」という他人任せな思考でしたね。役に立ちたいという想いだけではダメで、自分が人々に貢献するためには技術や知識を鍛えなくてはならないと、その教授が教えてくれたんです。
当時IT技術であれば大学生でも習得可能で、国連のインターンでも活かせると思い、学ぶことに。また国連を目指す仲間たちが集まり必要なスキルを高める研修や勉強会に2年間参加し、必死にキャッチアップしてインターンが実現しました。

インターンのプログラムは、国連と大学が連携し、世界中にある国連機関に大学生を派遣するという内容。国連側のポストと大学側の推薦による学生のスキルとのマッチングを行い、ナミビアやマレーシアなど派遣される国が割り当てられます。
国際的な環境で働くのは初めてで、周囲にはナミビア人やスペイン人など様々な国の人がいました。文化や時間感覚の違い、多様な価値観の入り混じる中で共に仕事をする経験は非常に勉強になりましたね。

ナミビアは若者の失業率が50%。貧富の格差、黒人と白人の社会的格差も大きい。路上やトタン屋根の家で生活する人も多く、治安も良くない。
半年間の現地生活は、自分自身の人生に最も強いインパクトを与えるものでした。いわゆる村社会で、大家族が多く、住民同士が皆知り合いで、お互いに助け合って生きているコミュニティです。コミュニティの中に生活のあらゆるものがあり、みんなが繋がっている。
アフリカで感じたこの衝撃と居心地の良さを、対島に来た時にも感じたんです。

|対馬での生活は、東京や大阪での生活と比べ、どのようなところに違いを感じますか。

対馬では一次産業に従事する人が多く、自然や住民同士のつながりも都会とは異なります。多様な人がいるコミュニティの中で、自治の意識を持ち、自分自身がなんとかしようという「自分事化」がしやすい環境だと思います。
たとえばこの地域のゴミ捨て場は汚いところがない。住民みんなが地域を自分達の手で作っている意識を持ち「自分事化」しているんです。

また、ここには通貨経済ではない社会経済があります。お米や野菜など、近所の方や知り合いからいただいたりすることもあります。例えば、漁師さんと農家さんは魚とお米を交換していたりします。
野菜は季節や天候によって一気に採れすぎたり、育ちすぎてひび割れてしまったり、逆に採れない時もあるので、採れたものを長持ちさせるための知恵も根付いています。自然との共生、自然への感謝が日常にある。

東京ではある程度のことはお金を払って問題解決できるので、「人とのつながり」が見えなくなっている。自分1人で生きていけると勘違いしてしまうこともある。
対馬では、「お金を払えば解決できる」わけではなく、知り合いに助けてもらうことも多く「お互い様」の関係性がある。

持続可能な社会とは、循環の中で生きていくこと。循環は「自然と人」「人と人」のつながりから生まれる。
このつながりこそが本来大切なものなんだと皆が当たり前のように感謝しながら生きていれば、世の中や人々の考え方も変わるんじゃないかと思って。
今の会社ではそこを目指して、対馬という地域の人々に学びながら教育事業を展開しようとしています。

|対馬地球大学で目指していること、またご自身の今後の将来像について教えてください。

対馬地球大学が掲げる活動のうち、私は宿泊・飲食事業を担当しています。地域のかあちゃんの知恵や愛情がこもった家庭料理を楽しめる場、食育を学べる場を作り、事業を継続するため売上も確保することが私のミッションです。
主役はかあちゃんたち。彼女たちは素材の使い方をよくわかっていて、丁寧で美味しい料理を作る。かあちゃんたちが有り余るパワーを発揮し活躍してもらうためのコーディネート役をしています。
地域にとっては当たり前すぎて気づいてないもの。様々な視点を持った人がそれを掘り起こし、社会との繋げ役になる。企業や学校の研修・学びの場としての拠点になることを目指しています。

世界にはさまざまな社会課題がありますが、みんなで共同して生きていく社会を目指したい。そのためにはまず、自分が理想として思い描く生き方を実践したい。
地域に馴染み、自分の暮らしをきちんとする。自然と共生し、感謝する。私が都会ではなく地方に住んでいる理由のひとつです。

Yuri Shiino /
大阪府出身。1991年生まれ。海外暮らしの中で目の当たりにした貧困をきっかけに世界平和とは何かを考え始める。大学在学中、アフリカ・ナミビアの国連機関でインターン。新卒入社の企業で広報・マーケティング・海外営業を担当。うち2年はドイツに勤務。平和への一歩として、まずは自分を愛し、周りの人、自然、全てとの繋がりに思いやりを持つことが大切だと考え、地域から持続可能な社会創りを目指して2021年4月に対馬地球大学へ入社。島の名人たちと県外から訪れる人たちを繋げながらサスティナブルな社会の実現に向けプロジェクトを運営している。

Asuka Ito /
1992年生まれ、山形県出身。 大学卒業後、代官山スタジオに3年間勤務。 2017年に渡英し、撮影アシスタントの傍らドキュメンタリー写真に軸をおいた作品制作を行う。ヨーロッパ、中東、オセアニアなど様々な土地へ足を運び、現地で出会った人々との対話や土地から受けた印象をもとにコンセプトを決めていくスタイルで、ポートレイトや風景を撮影したシリーズを制作。2年半の滞在ののち、渡仏。2020年に帰国し、現在は東京を拠点に活動。東京の子供、福島、母親・家族などをテーマにした作品制作を行っている。

Nami Kunisawa / Akio Kunisawa /
フリーランスで編集・執筆を行う。これまでに「Whitelies Magazine」(ベルリン)、「Replica Man Magazine」(ロンドン)、「Port Magazine」(ロンドン)、TOKION(東京)等で、アート、ファッション、音楽、映画、写真、建築等に関する記事に携わる。

Photography:Asuka Ito
Text : Nami Kunisawa
Interview : Akio Kunisawa